尊敬語とは、謙譲語とは
動詞に用いられる敬語に、尊敬語と謙譲語とがあります。尊敬語は、動作の主を持ち上げることによって、動作の主に対する敬意を表します。一方、謙譲語は、動作の主をへりくだることによって、動作の相手に対する敬意を表します。また、謙譲語の動作の主は、書き手、書き手の身内、または身内に準ずる存在でなければなりません。
したがって、動作の主が誰であるかによって、尊敬語および謙譲語を使い分けなければなりません。すなわち、動作の主が敬意を表すべき相手であれば尊敬語を使うべきだし、動作の主が書き手、書き手の身内、または身内に準ずる存在であれば、謙譲語を使うことになります。これを間違えると失礼です。
たとえば、「知事が到着したら、すぐ案内する」は、敬語を含まない、すなわちニュートラルな表現です。この文章には「到着する」「案内する」と2つの動詞があります。まず、「到着する」のは誰かと言えば知事です。知事は来賓であり、敬意を表すべきですから、「到着する」には尊敬語を使って「ご到着になったら」と表現します。次に、「案内する」のは誰かと言えば、書き手、書き手の身内、または身内に準ずる存在です。したがって「案内する」には謙譲語を使って、「ご案内申し上げる」と表現します。こうして、「知事が到着したら、すぐ案内する」に敬語を適用すると、「知事がご到着になったら、すぐご案内申し上げる」となります。
尊敬語の公式、謙譲語の公式
あるニュートラルな動詞を、尊敬語および謙譲語の表現にするには、いくつか公式があります。まず、尊敬語の代表的な公式としては、次のようなものがあります。
(1) お…になる
【例】お客様が部長をお待ちになっています。
(2) ご…になる
【例】お客様は今まで試作品をご覧になっていました。
(3) …れる(られる)
【例】部長が来られたので会議を始めましょう。
(4) …なさる
【例】知事が到着なさった。
次に、謙譲語の代表的な公式としては、次のようなものがあります。
(1) お…する(いたす)
【例】いえ、お気遣いなく。ここでお待ちいたします。
(2) ご…する(いたす)
【例】私が山田様をご案内しますから、あなたは浅田様をご案内してください。
(3) …申し上げる
【例】万全の体制でサポート申し上げます。
また、ニュートラルな動詞とは別に、尊敬語専用の動詞、謙譲語専用の動詞がある場合は、専用の動詞を使う方が概ね適切です。たとえば、「食べる」を公式で尊敬語にすると「お食べになる」となりますが、それよりは「召し上がる」という尊敬語専用の動詞の方が適切です。また、「見せる」を公式で謙譲語にすると「お見せする」となりますが、それよりは「ご覧に入れる」「お目にかける」という謙譲語専用の動詞の方が適切です。
最近、謙譲語を使うべき場面で「…させていただく」を目にすることが増えています。「…させていただく」は、使い方が難しいので、初心者は使わない方が安全です。「…させていただく」が使えるのは、相手側または第三者の許可を受けて行い、かつそのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある場合に限るとされています(文化庁文化審議会答申「敬語の指針」2007年)。
たとえば、借金を申し込まれたときに、「お断りさせていただきます」と言うのは、相手の許可を受けていませんから、誤りです。「お断りします」と比べてみましょう。口調や表情によけいなメッセージが含まれなければ、「お断りします」は、断るという意志のほかになんらニュアンスを含みません。一方、「お断りさせていただきます」は、「言葉は丁寧だが、喧嘩を売っている」ようなことになりかねません。
二重敬語
1つの動詞に適用する敬語は1つに限ります。形式的には、専用の動詞に公式を適用したり、公式を二重に適用できる場合もありますが、これらは二重敬語と呼ばれ、いずれも誤りです。
次は、尊敬語が二重になっている誤り例です。
【悪い例】お待ちになられる
【よい例】お待ちになる
次は、謙譲語が二重になっている誤り例です。
【悪い例】ご注文をお承りしました
【よい例】ご注文を承りました
二重敬語は、失礼とは言えませんが、幼稚な印象を与えるので気をつけましょう。
ただし、「お召し上がりになる」「お伺いする」などは、二重敬語ですが、すでに定着しているので問題ありません。
1つの動詞に尊敬語と謙譲語とを同時に適用するのも矛盾しており、不適切です。
【悪い例】特別なお客様なので、オーナーシェフが自らオーダーをお伺いになった。
【よい例/外部の読み手に対して】特別なお客様なので、オーナーシェフが自らオーダーを伺った。
【よい例/内部の読み手に対して】特別なお客様なので、オーナーシェフが自らオーダーをお聞きになった。
「です」「ます」は、話し手から聞き手(書き手から読み手)に対する敬意を表す丁寧語です。たとえば、先輩秘書が後輩秘書に「私が山田様をご案内します」と言う時の「ます」は後輩秘書に対する敬意を表します。後輩秘書に対して敬意を表す必要のない時は「私が山田様をご案内する」となります。この場合、丁寧語を使うかどうかは、山田様に対する敬意には何の関係もありません。
最大の敬意を払わなければならない方が聞き手(読み手)であって、「です」「ます」だけでは敬意が足りないのではないかと感じられる場合、つい謙譲語を使いたくなるかもしれません。しかし、謙譲語はあくまで動作の相手に対する敬意を表す敬語であって、聞き手に対する敬意を表すものではありません。
たとえば、お客様から苦情を聞く場面において、「御意見を承りました」と言うのは適切です。「承りました」は「聞きました」の謙譲語です。「聞く」という動作の主は自分であり、相手はお客様ですから、自分の動作をへりくだって、動作の相手であるお客さまに敬意を表しており、適切です。しかし、「御意見を担当者にお伝えいたします」と言うと、誤りです。「伝える」という動作の主は自分であり、伝える相手はお客様ではなく、担当者です。「お伝えいたします」と謙譲語を使うと、自社の担当者に対して敬意を表することになります。「御意見を担当者に伝えます」が適切です。
また、名詞につける「お」「ご」は、その名詞が表す物の所有者に対する敬意を表します。たとえば「お名刺をいただけませんか」の「お」は、名刺の所有者に対する敬意を表します。
【悪い例】熱心にご指導していただいた○○先生にお礼申し上げます。
【悪い例】熱心にご指導してくださった○○先生にお礼申し上げます。
論文などの謝辞に頻発する誤用です。「いただいた」「くださった」の部分は正しいのですが、「ご指導し」は謙譲語ですから、指導した先生をへりくだって、指導の相手である自分に対して敬意を表すことになってしまいます。「ご指導くださった」「ご指導いただいた」が正しい表現です。
【悪い例】ご利用できるクレジットカードはつぎのとおりです。
【悪い例】年末年始には割引をご利用できません。
「ご…できる」は「ご…する」の可能形で謙譲語です。利用するという動作の主体はお客様ですから、お客様をへりくだって、利用される側の自社に対して敬意を表すことになってしまいます。「ご利用いただける」「ご利用になれる」が正しい表現です。
【悪い例】こちらの窓から、富士山が見えてございます。
【よい例】こちらの窓から、富士山がご覧いただけます。
動作の主体が自分でなく、自分の身内でもない動詞を謙譲語にするのも、奇異です。「山が見えております」「魚が泳いでおります」など、つい言ってしまいがちですが、山や魚をへりくだってどうするのでしょう。山や魚が話し手の身内のように聞こえて、滑稽です。
敬語には、軽い敬意を表す表現から最上級の敬意を表す表現まで、さまざまなレベルの表現があります。その際、適切な敬意のレベルを選ぶことも大切です。過剰な敬語は、かえって失礼になるばかりか、攻撃と受け取られるおそれもあります。
たとえば、「会長のお嬢様が、昨日、男児を出産なさいました」と言えるところ、「会長のお嬢様におかれては、昨日、男のお子さまを出産なさいました」と言うと、敬意のレベルが高い表現になります。多くの場合、この程度であればなんとか許容範囲と言えます。しかし、「会長のお嬢様にあらせられては、昨日、男のお子さまを出産なさいました」と言うと、多くの場合、敬意の度が過ぎています。このような過度の敬語表現をされると、された本人(会長のお嬢様)としては馬鹿にされたと感じるおそれがあります。第三者の目には奇異に映ります。
したがって、「…におかれては」「…にあらせられる」のようなレベルの高い敬語表現を使う場合には、細心の注意が必要です。
さらに、敬語の中には天皇・国王や皇族に対してのみ使われる表現があります。たとえば、「奏上する」は「申し上げる」という意味ですが、申し上げる相手が天皇・国王である場合にのみ用いられます。このような特殊な敬語を、場違いな状況で使わないようにしましょう。
初心者のうちは、背伸びしてレベルの高い敬語を使わない方が安全です。最も適切な敬意のレベルを選ぶことができればよいに決まっていますが、それがむりなら、レベルが高すぎるよりは、低い方が、はるかにましです。一般的なビジネスの場面において、敬語のレベルが低すぎて問題になることはほとんどありません。
相手との関係がどちらかと言えば敵対的である場面、たとえば、双方の利害が対立する交渉の場や、相手が怒って苦情を申し立てているような場面においては、過剰な敬語を使うと、悪意を感じさせ、状況を悪化させる恐れがあります。このような場面においても、敬語のレベルが低いことは、「未熟なやつだ」という印象を与えることはあっても、悪意や敵意を感じさせる心配はまずありません。